記念すべき夜が始まる

『時空』という言葉があるように、時の界王神が存在するのなら、空間の界王神も存在する。
時の界王神はタイムパトローラーという時間の守り手を集めて、彼女の采配の元で歴史の改変を防ぐ仕事をしている。
対して空間の界王神は他の手を必要としない。彼女は全ての空間に存在し、異次元すらも超える特殊な存在なのである。
逆に言えばどの座標からでも彼女へと至る道があり、彼女は全ての次元で共通の唯一神なのだった。
時の分岐でさえそれは妨げにはならない。
勿論、時間は彼女の領分ではないので歴史干渉についてなんら権限は持たないが、時間に縛られることもなく無限の空間をその手に委ねられたただ一人の女が空間の界王神なのだった。
故に彼女はゴワスがザマスを見出した時、越権行為であると理解しながらもどうしても反対せずにはいられなかったのである。




「空間の界王神様、いらっしゃっていたのですか」
「ザマス、今日も元気そうね」
美しく微笑みかけられ、ザマスは満更でもなさそうにはにかみながら俯いた。
度々ゴワスの元を訪ねてくる彼女は、いつだって優しく声をかけて気に掛けてくれる。
界王神であるゴワスの後継者として見出された栄誉だけでもザマスを満たすのに充分と言えたが、空間の界王神の寵愛まで頂けるとは……畏怖だけでは足りない気持ちである。
「変わったことは何もない?貴方は真面目で純粋だから時々心配になるのよ」
「いえ、特には……」
鈴が鳴る如くとは彼女のためにある形容だと思う。透き通った声に案じられると、くすぐったいような気持ちが湧いてきて落ち着かない。
「何か不自由があればいつでも力になるからね。貴方が訪ねてくるのを待っているわ」
「ありがとうございます」
恐縮して腰を折るザマスを制し、空間の界王神は優雅に椅子に腰掛けた。
「さあザマス、貴方の腕を奮ってくれるかしら?」
修行としてザマスはゴワスの身の回りの世話を行っている。
故に彼女が何を求めているのかはすぐに分かった。
教養は身を助くのだとゴワスはザマスに説いていた。それは知識だけに限った話ではなく、技術も含まれるのだとも。
勿論頭で理解しているつもりではあったが、こうして実践の機会を持つと説得力が増す。
つまりザマスは今、普段からゴワスに行っているお茶汲みの腕を試されているわけだ。
「最近ゴワス様と巡回に出た際、淡い花の薫りがするお茶に出会いました。空間の界王神様に是非ご賞味頂きたいと思います」
「それは素敵だわ。ありがとう」
素直な礼を貰ってしまって、ザマスは何となく自身の耳の先端が熱を持ったような気がした。
こっそりと空間の界王神を盗み見ればお世辞なしに花が綻んだような微笑みを浮かべていて、頬まで熱くなった。
本当に、美しくも気高い神に腕を奮って欲しいと求められるなど恐縮でしかない……。
「余り期待されませんように」
謙遜と言う名の予防線を張ってザマスは普段通りに支度を始める。
流れるような優雅な所作だ。空間の界王神は、元々のザマスが賢く真面目で丁寧なのだから当然だと思った。
彼はきちんとゴワスの元で下積みをしていることが良く分かる。
「それにしても巡回だなんて、ザマスは自分達の宇宙をきちんと見守っているようね」
「いえ、そんなに大層なことはしておりません……。ゴワス様が導くのではなく見守れと仰せなので……。故に毎日欠かさず定期巡回をしているだけなのです」
それは謙遜でも何でもない言葉であったが、ザマスが恐縮した態度を見せたので、空間の界王神は殊更優しく微笑んで見せる。
「貴方は立派よ、ザマス。貴方の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいわね」
「空間の界王神様も弟子を取られたのですか?」
無意識に淡い嫉妬を抱きつつ、ザマスは問う。
聖母の如き彼女に拾われておきながら品行方正に生きられないとは見下げた無作法者である。
修行中の身の上のザマスが口出し出来るようなことではないが、その者達も一度ゴワスの教えを受けてみれば良いのだ。
無知は罪である。そして教養は身を美しくする。
せめて空間の界王神が外に出しても恥ずかしくないと思えるくらいには心身ともに清貧でなければ許せないだろう。
「弟子ではないのよ。でも、少し手が掛かることは確かね」
「空間の界王神様、許されるのであれば是非いつかその者に会わせて頂きたい。私が手本を見せて差し上げましょう」
僅かな嫉妬心にザマスの瞳の奥がギラリと曇るのが分かった。
空間の界王神は嗚呼……と胸の中で嘆く。
こんなにも純粋で真面目なザマスは、こんなにも染まりやすい。
憐れなことだ。
「……、ええ、そうね。もしかしたらいつか、会う日が来るかもしれないわね……」
気怠い溜め息に含まれる憐れみに、満たされた今のザマスが気付くことは終ぞ無かった。



「全ての次元に私が存在することは知っていたわよね。そして勝手に次元を移動した貴方を追ってくることも分かっていたのではないかしら。ザマス……いいえ、もう貴方はブラックね……。ブラック、貴方はとても頭が良かったから」
そこはけぶるように花が舞ういつもの場所ではなかった。
彼には似つかわしくない野晒しの荒野。そこに建造された小さな一軒家にて彼は空間の界王神と相対していた。
どうやら家の主は排されてしまったようで、部屋の中は散らかり放題だった。
それなりの抵抗を受けたのだろうと推察される。
お互い向かい合って座っていたが、目の前の机の上には何も乗せられてはいなかった。
美しい所作で茶器を傾けるザマスはもういないのだ。
そしてその傍で弟子の成長を満足げに見遣るゴワスの姿もない。
何だったら在りし日の姿をしたザマスさえ存在していない。
肌の色も髪の色も全く違う。最早種族さえ変わってしまっている。
そこには変わり果てた姿のザマスがブラックと名を変え、尊大な態度で空間の界王神に対面していた。
「追ってくる程私に執着されていたとは知りませんでしたよ。そんなにも私を寵愛して下さっていたとは光栄ですねぇ」
物言いまでも皮肉混じりの声色に染まり、空間の界王神を威圧する。
しかしそれに怯んでいるようではここにいる意味がない。空間の界王神は小さく息を吸った。
「さっきまで異次元の貴方からお茶を頂いていたの。私は時間を問わずあらゆる次元に存在出来る……。あれはもしかしたら在りし日の貴方だったかもしれないわね」
「それはどうでしょう。ただ、貴方は本当に足繁くこちらに通われた……。何度も貴方にお茶を振る舞いました。よく覚えていますよ」
空間の界王神は眉間に皺を寄せる。
そう、彼女は何度も何度も様々な次元のザマスの元に通っている。ザマスをゴワスが拾った時からずっとずっと……。
いや、時間に制約されることなく空間を管理する彼女にはゴワスとザマスの出会いなど関係は無かったのかもしれない。ザマスが異次元転移を果たし、ブラックと名を変え、時の指輪が増えた時にこの運命は確定されたのだから。
彼の転移を無かったことにはもう出来ない。既に空間は分かたれてしまった。時が分岐するのと同時に空間も分岐してしまったのだ。
それでもせめてザマスの心だけでも真面目で優しく健全であった頃に戻したくて、過去の空間に存在するあらゆる次元のザマスの元に幾度も通ってみたのだが……。
こうして対峙して理解した。
全てのレールが不可避の運命上に敷かれており、未来のザマスがかつての彼に戻ることはないのだと。
どの次元を経由してさえ、その運命を変えることは出来ないのだと。
「空間の界王神様、貴方はどの時間軸のどの次元にも唯一個体として存在し得る……。故にこの先の顛末もご存知なのではありませんか」
ブラックの言葉に空間の界王神は眉間の皺を深くした。
そう、それこそが最も忌避したいと願った結果である。
ザマスを拾わんとするゴワスに猛反対をし、しかし結果的には受け入れざるを得なくなり、必死で彼の成長を健全にしようと観察を続けた空間の界王神が一番恐れた結末。
それが今、そこでほくそ笑んでいる。
既に王手をかけたことを理解した上で、空間の界王神と対峙しているのである。
「知っているわ。でもそれがどうしたと言うの。貴方は何が言いたいの」
「フフ……空間の界王神様は肉体的にも精神的にも多次元に存在することのないただお一人の存在であらせられる……。しかし私という肉体や精神は色々な可能性の次元に存在するでしょう。同一次元に同一個体の観測は不可能という観点から、貴方は私を見張るだけで宜しいのでは?そうすれば私は私の企てを実行出来ないでしょう」
「無意味な提案ね。貴方が孫悟空の体を乗っ取った時点で既に……」
言いかけてはっとした。
目の前のブラックが一瞬驚いたような表情をしたからだ。
「今何と仰いましたか?……精神の同一性は関係ないようなことを仰いましたねえ……?」
ブラックの前のめりに投げかけられる言葉に空間の界王神は黙り込む。
己の失言に気付いたからである。
目の前のブラックはしたり顔で微笑んだ。それはもう心の底からの笑みで。
「成る程成る程……良いことを聞いた。同一存在の観測による消滅だけを危惧して計画を実行に移すのを躊躇っていたが……空間の界王神様は真に私の救世主でいらっしゃる」
同じ時空上にて同一の個体は存在を観測し認め合うことが出来ない。お互いの存在を認めた瞬間に消滅する。
つまりブラックは同じ精神を持つ自身と出会うことを危惧していたのだ。
肉体面は全く違う素体でも、そこに宿る精神は変わらない。で、あるならば万一異次元の自分自身に出会うことで消滅をしてしまう可能性がある……と考え、計画をなかなか実行に移せないでいたのだった。
そうやって二の足を踏むブラックが、最終的な行動を起こすきっかけがまさか自身の発言そのものであったとは!
不可避の運命に相対して初めてその正体に気付くことの皮肉に、空間の界王神は下唇を噛む。
彼のために起こしてきた行動の最果てで待っていたのは自分自身だったなんて。
最後のピースを自らの手で嵌め込んでしまったと気付いてももう遅い。ブラックは気付いてしまった。
肉体の不一致が精神の不一致を生じさせ、孫悟空の体を乗っ取ったブラックと異次元に存在する元の肉体のザマスは既に別ものになっていると。
それ故彼の企みが完全な形で成就可能だと言うことに。
空間の界王神は言葉を失くす。もう、ブラックの運命は最終地点まで行きついてしまうだろう。
他でもない空間の界王神自身の一言によって。
ブラックは席を立つと、茫然自失の空間の界王神の傍へ歩み寄ってきた。
そしてそのまま彼女の手を握る。
意味不明の行動に、空間の界王神は顔を上げてブラックを見上げた。
やはり見知ったザマスの姿は目の前にはない。
黒い髪に異質な声、そしてサイヤ人の体。服装さえ見習いのものではなくなってしまっている。
一通り視線だけでブラックを眺めた空間の界王神は怪訝そうに眉を顰める。手を握られた意図が全く分からない。
「ブラック……?」
無言の行為に耐え兼ね声をかけると、ブラックは恭しそうな態度で空間の界王神の手を持ち上げた。そしてそのまま大仰に勿体をつけ、その手の甲に唇を押し付けたのだ。
目の前の光景に息を飲む空間の界王神に不敵な笑みを浮かべてみせるブラック。
曰く。
「その美しい微笑みを独占したいと思っていたのですよ。いつだったか貴方は私の知らぬ者の話をなさいましたね。当時の私は嫉妬という感情の意味さえ知りませんでしたが……、その者よりも私の方がずっと優れているのだと言うことを教えて差し上げましょう」
ブラックの言葉に空間の界王神はぎくりと体を強張らせた。
つい先程、手慣れた様子で淹れられたお茶の花の香りが脳裏に過る。
嗚呼、彼はあの時に存在したザマスの成れの果てなのだ。
既に身も心も面影はなくなってしまっているが、記憶だけが彼を証明している。
「ブラック……ザマスであった頃の貴方が嫉妬したのは貴方自身よ……。あの時私は、いつかの未来の貴方を愁いていたのよ……」
「ハッ、そんなにも想ってくださっていたとは露知らず。ならば私も全力で応えねば失礼にあたる。さあこちらへ」
「え、……っ?」
ぐいと凄い力で手を引かれ、机から立ち上がらざるを得なくなった空間の界王神。
何処へ連れて行かれるのか……彼の言葉からはあまり良い気配を感じられない。
「ちょっと、一体何処へ……」
「すぐに分かりますとも」
普段の、どちらかというと控えめな印象のあるザマスからは考えられない行動だった。ぐいぐいと引っ張られ、連れ込まれた先はこの家屋で最も奥に位置する部屋だった。つまり、寝室である。
「……、何を、考えているの」
「分かりませんか。いえ、分からないならそれはそれで……私としては嬉しいのですがね」
しかしニヤニヤとした笑みを浮かべるブラックには、恐らく空間の界王神が何を想像しているのかは分かっているのだろう。
そして、それが現実になろうとしていることも。
思わずブラックの手を振り解こうとしたが、それを先読みしていたブラックの手を振り解くことは出来なかった。寧ろそのまま引き寄せられて、寝台の上に押し倒されてしまう。
「止めて頂戴。こんなこと、界王神がすることではないわ」
「残念ながらこの次元において私は界王神ではなく神そのものなのですよ。肉体は、下賤ですがね」
最後の一瞬だけ、自嘲気味に笑う。
何故だ。自ら望んでその道を選択したくせに。
今こうして自身を嘲るくらいなら最初から選ばなければ良かったのだ。そうすればもっと穏やかに時を重ねられた。そうすればずっと一緒に過ごしていけた。
それを手放したのは、他でもない自身ではないか。
「ブラック、もう色々と取り返しのつかない事態が起こってるの。これ以上は……」
「何を仰います。取り返しがつかなくなっているならこの後何をしたところで同じでしょうに」
伸びてきたブラックの手がそっと空間の界王神の頬を撫でる。似つかわしくないほどに優しく、労りを込めて。
強引なことをしたかと思えば、急に優しく触れてみたりする。行動の二面性に戸惑う空間の界王神は、疑問を込めてブラックを見上げた。
その視線が交わる一瞬。
頬に触れていた手が離れ、空間の界王神の胸元をきつく掴んだ。そして次の瞬間には、いとも容易く衣服を引き千切られていたのである。
「……ブラ、ック……ッ!?」
見上げた先のブラックの表情に気を取られていたとはいえ、こんなにも呆気なく素肌を暴かれてしまうとは。
ブラックは紙でも破るかのように、空間の界王神の衣服を剥ぎ取っていく。手心を加える様子もなく、ただただ乱暴に。
「ふ、ふふふ……嗚呼素晴らしい……。お美しい貴女のこんなお姿を拝見出来るとは」
無理矢理服を剥がれた空間の界王神は居心地悪く体を丸くした。
こんな姿を誰かに見せたことは一度も無い。
「止めて、ブラック……。お願い……。こんなこと……貴方が真に神であるのなら……不要の行いでしょう……?」
「肉体は下賤だと言ったはずです。この体……忌々しくも欲というものに貪欲でしてね。不要などとんでもない。貴女に恨まれようと嫌われようと、欲して止まないのですよ」
衣服を引き千切られる直前の、ブラックの表情が脳内に過る。
恐らくは、生涯忘れることはないだろう。
あんな顔を見せつけられた後で、ブラックを見放すことはもう出来そうにない。
空間の界王神は体から一切の力を抜いた。抵抗する気持ちはすっかり消え失せていた。
「こんなにも気に掛けた可哀想な貴方を嫌いきれるわけないでしょう……。ブラック、私は貴方が考えているよりもザマスを愛していたし、秘かに心を砕いてきたつもりよ……」
恥ずかし気に伏せられた瞼の先で、健気な睫毛が濡れて震えている。
「可哀想という形容は不本意ではありますがまあ良いでしょう。心を砕いて下さっていたのなら、憐れな見習いに貴女の名前を教えて頂きたいのですが?」
「……在りし日、私はと呼ばれていたわね。もう、いつの頃か分からないけれど……」
全ての空間を委ねられた日のことはもうあまり思い出せない。いや、そもそも在りし日などあったのだろうか。
空間を律するために生まれた自身が過去、現在、未来において存在するのなら生まれた時から空間の界王神である必要があるのでは?
何故だろう、記憶の糸が上手く辿れない。
時間が彼女を拘束することはないが、存在することにより流動していく時の流れが生み出す記憶の蓄積から逃れることは出来ない。しかし曖昧である。
……嗚呼、貴女に良く似合う美しい名だ……」
こんな時でも隠しきれない自嘲の微笑み。
嗚呼、と空間の空間──は胸の内で嘆く。
この先はきっと引き返せない地獄が待っていると言うのに。自嘲するくらいならば踏み留まれば良いのに。
しかしそれはもう不可能なのだろう。ブラックだけではなく、自身さえ踏みとどまることが出来ないことを本当は悟っている。
一切の抵抗を止め、空間の界王神ではなく、と言う只の女に成り下がった自身が一番良く分かっているのだ。
先程見せてくれたブラックの、躊躇いと興奮の混じった表情……。あれを独占出来るのならもう地獄でも構わないではないか。
重なり合う体に腕を回して抱き合った。誰に遠慮することもない。愛した男と睦み合うだけの行為に理由を探すなど愚かだ。
もう、この気持ちさえあれば良い。



素肌で触れ合う感覚の愛おしさを口で表すのは困難だと思った。
これを知らずに生を過ごすということは、果たして健全で清貧なのだろうか。
肉体の純潔を神聖化するあまり愛の本質を見誤ってはいないだろうか。
熱い吐息を零しながら、ブラックの唇が皮膚をなぞっていく。ただそれだけでさえ、こんなにも心が高揚する。
「嗚呼……」
思わず溜め息が零れた。それを吸い込んでしまうように、続けざまにキスが降ってくる。
反射的に目を伏せ、ねっとりと絡まる舌先を受け入れた。彼の味は未知の快感を含んでいて下腹の辺りに淡い波を呼び起こすようだった。
「んっ、……んは、ぅん……っ、ブラック、んく、……あぁ、……」
ちゅく、ちゅく……と控えめな水音が部屋に響いている。
湿った粘膜が縺れ合うだけでどうしてこうもいやらしいのだろう。ぞくりと冷たい感覚が背筋を駆け抜け、無知な体が熱を帯びる。それは、きっとブラックにも見抜かれてしまっているのだ。
「はっ……あまり、じっと見ないで……」
浅ましさを恥じて強い視線から逃れるように顔を逸らした。
彼は風貌が変わっても、意志の強さを感じさせる視線は変わらない。
「何故です。折角貴女を独占出来たというのに」
こめかみや頬にちゅ、ちゅ、と唇で触れてくる。遠慮のない仕草だが、不躾な印象は全く無かった。寧ろ甘くくすぐったい。
「慣れていないどころかこんなことは初めてなの……。みっともないところを見せてしまう……」
既に界王神であるという自負を脱ぎ捨てたの飾らない姿だった。
少女のように頬を赤らめ告げられた言葉に、ブラックは二度三度瞬きをしたが、すぐにいつもの不遜な表情に戻ると。
「健気なことを仰る。お気に病む必要はありません。寧ろ存分に拝見させて頂きたい」
などと言う。
それどころか、を見下ろしたままでやんわりと胸を下から掬い上げるように触れ始めた。思わず体が強張ってしまう。
「あ……っ、待っ……」
「聞けない相談ですねぇ」
覗き込むように顔を見つめられ、居心地悪く視線を逸らすことしか出来ない。
そうしている間にもブラックの手は探るように乳房に触れている。男の手の中で形を変えるその感覚には慄いた。
「ああ……ブラック……変な気分に、なってしまう……」
「良いことではないですか……。私の手によって素直に性を感じる貴女は、最早神としての存在ではないのでしょう……。このまま只の女として私の愛を享受なされば宜しい」
ゆっくりと近付いてきたブラックの顔が、視界を埋め尽くすときに唇の暖かさを感じる。
口づけされたのだと思った時には既に与えられており、はただただ受け入れることしか出来ない。
──ちゅ、っ……くちゅ……、ちゅくちゅく…………
唾液の絡まる音がまたしても響き始める。混じり合ったそれを飲み込む時に、僅かにブラックの舌先を吸い込んでしまったら、彼が小さな呻き声を出した。
それが不思議と可愛らしくて……。
「……ふ、は……っ、うふふ……」
「……?何がおかしいのです」
「貴方が可愛らしい声を出すから……」
揶揄われたと思ったのだろうか。む、と目の前の顔が不満そうに変わる。
直後、首筋に突然噛み付いた。
「あっ……!」
かぷ、かぷ、と甘噛みを繰り返しては薄い皮膚を唇でなぞる。
「ん、あ……あぁ……っ!ブラ、……ック……」
くすぐったさと淡い性感が入り混じり、溜め息とともに声が漏れてしまう。
「あなたの方が余程可愛らしい声ではありませんか?」
「……っ、もう、……ッ、私は、そういうつもりで言ったわけじゃ……」
「口答えは不要ですよ」
打って変わって満足げに息を吐くと、ブラックの唇は更に大胆になった。
少し下に体をずらしたかと思うと、乳房の膨らみを軽く食んだのである。
「きゃっ……!」
まさかそんなところを食まれる想像はしていなかったので、びくりと体が跳ねてしまった。
しかしブラックは、の反応をものともせず、舌先をねっとりと這わせていく。
「あ……っ、ん……はァ……だめ、……ぁあ……」
肌をなぞる熱い舌先。妖しく滑るそれはの体温さえ上昇させる。待ってほしいと嘆願しようとした口先とは裏腹に、本当は止めて欲しくないと心の何処かで気付いていた。
嗚呼、脳の奥で何かが警鐘を鳴らしている。
この先はいけないと。
だけどもう、戻る道すら見つからないのに?
は意を決してブラックの髪に指を絡ませる。名を顕現させた如き漆黒の髪。やや硬い感触はきっと体の持ち主の種族特有のものなのだろう。
そっと撫でるとブラックの上目遣いの視線で疑問符を投げられた。
「……何でも、ないの……。ただ、気持ちが、良くて……。貴方になら、何でもされたいと……思っただけよ」
躊躇いがちなこの告白に、ブラックの目が二度三度瞬く。
予想もしていなかった言葉を投げかけられたからであろう。戸惑ったように視線がぶれるのも見て取れた。
の胸の奥に愛しい気持ちが溢れてくる。
「嘘は、無いわ。……ほんとうよ、……きゃっ……!!」
突然、ブラックがの体を力強く抱きしめた。
息も詰まるくらい、きつく。
首筋に埋められたブラックから浅い呼吸音が漏れ聞こえてくる。
「空間の界王神様、貴女は最後まで狡い人だ……」
小さく呟かれた言葉の意味が分からず黙っていると、やがてブラックの唇が首筋を辿り始めた。
くすぐるような感覚にぞわりと肌が粟立つ。
追い打ちをかけるように、ブラックはそのままやんわりと耳朶を食み、舌で弄び始める。ちゅ、ちゅ、と湿った音が耳元で響いた。
「あ、……っ、や、ぁ……、くす、ぐったい……」
浅い吐息が掛かるたび、爪先が震えるような感覚を覚えた。の呼吸も、つられるように浅くなっていく。
暫くそうしての耳を弄んでいたブラックは、やがて耳元で小さく囁いた。
「宜しい。貴女の望み通り、私が貴女を奪って差し上げる。低劣な欲情を煽った代償は責任を持ってお支払い頂きますのでそのおつもりで」
直後顔を上げたブラックの、ギラついた視線がは息を飲む。
嗚呼、もしかして自分は起こしてはいけない彼の中の獣の尾でも踏んでしまったのだろうか。どぎまぎするの唇に、獣が甘く咬みついた。
「はぅ……っ、ん、っ……んく、ふ……はぁ……っ」
ちゅぐ、と遠慮もなく舌先が入り込んでくる。
温かくて柔らかな感触と口内に広がるブラックの味。既に何度も与えられているはずなのに、重なり合う度にもっともっと欲しくなる。
翻弄されるがままに絡めとられ、じっくりと舐めしゃぶられ……。
「んんん……っ、は、んっ、ふ……っ」
息苦しささえ覚えるほどの激しいキス。
角度を変えては何度も繋がる唇からは、飲み込み切れなかった唾液が顎を伝い落ちていた。
最後にブラックの舌がそれを綺麗に拭う。
「はー…っ、はー…っ……」
苦しい息を繰り返しているとブラックの手がそっと肩口を撫でた。労わるような仕草で緩やかに二の腕を辿り、やがての手を掴む。
上から握られると彼の手はよりも随分大きく感じられて、僅かに心臓が早くなった。
だが、恭しい動作での手を取ったブラックは、あろうことかその手を自身の昂りに押し当てたのである。
掌に触れる膨張した感触は間違いなくブラックの……。
「な、っ……!?」
「分かりますか。貴女がこうさせたのです。コレがどんな器官であるかを知らぬとは言わせませんよ……」
逃がさないとばかりに上から手を押さえつけられてしまう。
熱を持ち淡く脈打つ感触には頬を赤らめた。当然ながらこんな部分に触れるのは初めてだ。
「嗚呼、柔らかな手だ……。この手で握られるだけで、私は……」
はぁはぁと気持ち良さそうな息を吐く。
禁欲と清貧が服を着て歩いていたようなザマスがこんな行為を……と、思うと同時に愛欲を向けられているのだと思うと下腹の深いところが苦しくなった。
体内が勝手に戦慄いているような、不思議な感覚。生まれて初めて体験する性的な衝動には戸惑う。籠り始める熱を発散する方法も分からず、居心地悪そうに膝を擦り合わせるだけだ。
「貴女も堪らなくなってきたと見える。こんなところを握らされて興奮するとは……。清く美しい女神も、暴いてしまえば人間と変わらぬと言うことか」
の状態に目聡く気付いたブラックは、彼女の白い太股をそっと撫でた。くすぐったさと淡い性感に内股が震える。
「フフフ、感じていらっしゃる。何よりです。もっと私で良くなると宜しい」
太股を抱え上げて、ブラックが体を屈めた。
見せつけるような動作での足の間に顔を近づける。
「あ、あぁ……ブラック、そんな……」
何をされるのかを理解したは思わずぎゅっと目を瞑った。
直後、ぬるりとした何かが敏感な粘膜に触れる。勿論、それがブラックの舌先であることは瞬時に理解した。
一瞬にして頬が熱を持つ。
「んんっ、……あぁ、だめぇ、……ゆるして、そんなところ、……あぁっ」
内側を這いまわるざらりとした感触。
直接的な刺激も勿論のこと、愛しい男に性器を舐められるという行為に激しく動揺する。
ぺちゃぺちゃと唾液を含んだ舌が蠢く度、引き攣るように爪先が跳ねた。
「許す……?一体何を?神の身でありながら一人の女として快感を得ることを?それとも、こんなにも溢れさせてしまっていることを?舐めても舐めても溢れてきますよ……」
わざと聞こえるように、じゅる……と粘液を吸い上げるブラック。
聞くに堪えず彼の頭を押し返そうと試みる。が、ねろりと蠢く舌先が、敏感な部分を無作為に掠めるので力が上手く入らない。
「はっ……、ブラッ、ク……ぅうン……っ!」
何でもされたいと願ったはずだが、これは刺激が強すぎる。
なのに体は裏腹にも快感を少しずつ拾い上げ始めていた。
ねっとりと舐め上げられるととてつもなく気持ちの良い瞬間がある。
「あっ!……あ、っ……あぁぁ……!そ、そこ……」
「フフフ、どうやら良くなってきたようですね……」
ブラックの指先がやんわりと足の間を割り開いた。舌先で探るように触れるのではなく、明確に意図をもって舐められる。
「ひ、あ!あ!あ!やぁあ、そこ、そこ……っ、おかしく、あぁぁっ……!」
爪先だけでなく、腰までもびくびくと跳ねた。
ザラつく感触が一か所を這いまわっている。それだけのことが寒気のするほど気持ち良い。
ひとしきり舐められ、ブラックがゆっくりと離れる頃には、は乱れた息で寝台にぐったりと横たわることしか出来なくなっていた。
「はぁ、はぁ……ブラック、……いま、すごく、きもちがよかった……」
「そうでしょう?しかしまだ先があるのですよ。その先をお知りになりたいでしょう」
ねぇ?とブラックはの足を持ち上げると、その間に男性器の先端を押し付け、いやらしく溝に沿って上下させたりする。
熱を持った先端が先程まで舌で弄ばれていた突起を擦るから堪らない。
「んんっ、……!あぁ、っ!し、知りたい……、ブラック、教えて、貴方が教えて……、私に、この、先を……」
「……良いお返事です」
興奮に掠れた声を隠そうともせず、ブラックはとうとうの内側に先端を埋め込んだ。のぬかるみは熱く、緩やかにブラックを迎え入れる。
「あ、っ、あぁぁ……っ、入っ、……て」
鈍い痛みを感じは逃げようと腰をくねらせた。
しかしブラックはそれを許さない。押さえつけ、根元まで全て埋め込んでいく。
「嗚呼、素晴らしい……っ、貴女の、体内は……想像を絶する……」
下品にも腰を突き出し深く繋がったブラックが気持ち良さそうに背をしならせている。
おおよそ普段からは決して見られないであろう光景に、も思わず自身の内側が切なくなるのを感じた。
「は……っ、そんなに、私を責めて……、ああ……それとも、もっと欲しいと?それならば、存分にお応えしましょう……」
言うなり太股を抱えられ、男性器をぐっと深く突き込まれた。
「あうっ……!あっ、だめ……!!あっ、あっあっ!」
「何が、だめか……っ、こんなにも、あぁ、私を……、離さないではないですか……!」
両手を突いたブラックが、容赦なく体の深部の突きあたるところを叩いてくる。
深く打ち付けられる瞬間、体内から押し出された愛液が伝い落ちたのが分かった。ぴっちりと隙間なく、今自身の中はブラックで満たされている。
そんなことを考えると体内が自然に震えてくる。
途端、見上げた先のブラックの眉間に皺が寄った。
「く、ぅ……っ、酷い、人だ……。こんなにも、私を苛んで……っ」
「そんな、こと……、あぁっ、おく、は……っ、あつくて、だめ……!」
きつく敷布を掴み、何とか熱から逃れようと試みるが、逃げようとすると容赦ない突き上げで追い縋られる。くねるの腰を力任せに体で押し付けては、何度も先端で子宮口をノックした。
最初こそ苦しくもあった筈なのに、内壁を擦られる感覚と深く抉られる感覚が今では爪先が痺れるほど気持ちが良い。
ぐじゅぐじゅと粘液の絡み合う音を響かせながら体をぶつけられると脳内が蕩けだしそうだ。
「ぶら、く、……っ、あぁ、きもち、ぃ……っ、すごい、のぉ……っ」
「はっ、はっ、……わたしも、とても、良い……っ」
きつく抱き合い、体を密着させながら獣のように腰を使う。
無意識に良いところを求めて、も腰を揺らしていた。
溶けあう程の快感にぞくりと背筋がしなり、は突如体が強張るような感覚を覚える。
「あぁ、っ……ぶら、っく、……、ら、っく……!なにか、すご、く……っ、あっ、きもちいい、っ、あぁっ、それ、やめないで……っ!そのまま、そのまま……!」
「!……、っくう……、あ、あ、締ま、る……っ、は、あ……っ、あ、ああ……──ッ!」
ずッ、とより深くブラックの楔が突き立てられた気がした。
その刹那、今まで味わったこともない程の快感が体を駆け抜け、子宮が波打ったのが分かる。
「っ!!!」
声も出ない程の衝撃と、冷感すら感じるほどの気持ち良さ。
びくびくと体が跳ねるままにそれを必死で受け止める。
「く、っう……」
同時にブラックもまた背をしならせて恍惚の溜め息を吐いていた。
嗚呼、と霞む視線の先でそれを眺める。
肉体的な快感は神の想像を超えるものだった。これを知らずに生きることは果たして健全で清貧と言えるのか。
理屈だけで答えるのであれば肯定的だと思う。
しかし愛を深く知るのなら、この行為は正しいとも。
地獄の幕開けを記念する素晴らしい行為であったとも。





「空間の界王神様、貴女はやはりこの結末をご存じであったのでは?時の流れに縛られない貴女であれば、この未来を回避しようと私に執着されたことも理解できますが」
目の前の男の声には首を傾げた。
愛しい男の発した言葉の意味が良く分からない。
「……既に空間の界王神としての機能の一切が停止したか……。しかし過去から現在、未来に至るまでに存在する貴女は何処で分岐してしまったのでしょうね。今となっては、それを確かめるべくもなさそうですが」
「……ブラックの話は難しくて困るわ。一体何の話をしているの」
美しく微笑みながらも少し困ったような顔をする。
嗚呼、こんな顔は初めて見た。いつだって彼女は神として堂々とした振る舞いで、自身の前に立っていたから。
、貴女は何も気にしなくて良い。さぁ、貴女の好きなお茶を淹れよう。淡い花の香りのするものを」
手を引いて促せば、困った表情は何処かへ失せた。
愁いは何もない、少女のような彼女の反応にブラックは心から充足を感じた。
これで良い。
誰も知らない新世界の頂点で、神の寵愛を受ける唯一の女……。
そう、彼女の縁(よすが)は自身だけであれば良い。



これ以降、全ての空間に存在する筈の唯一神である空間の界王神の行方を知るものはいない。
どこぞの界王神見習いに取って代わられたとの噂もあるが、真偽の程を確かめた者はいなかった。
蛇足であるが空間の界王神の失踪という事実は矛盾を孕み続ける。
過去、現在、未来全てにおいて存在する空間の界王神が、一度でも存在した事実があるのならば、不在になる瞬間など訪れないからである。
故に役職は現在も在位且つ空位のままである。